ガルージン前駐日大使のその後。

ロシアのミハイル・ユーリエヴィチ・ガルージン前駐日大使は、任期を終えて11月にロシアに帰任した。外務省の次官(ラブロフ外務大臣に次ぐポスト。複数いる)に就任し、一部のメディアは「栄転」したように報じているが、事情はもっと複雑である。彼の担当はベラルーシ、カザフスタンなどのCIS担当次官で、本来の得意分野である東アジア担当ではない。ロシア外務省のなかでも突出した「知日派」であるガルージン氏にしてみれば不本意なのではないか。ロシア大使館は、ナンバー2のゲンナージ・オヴェチコ公使参事官が「臨時代理大使」を務めているが、ガルージン氏の後任は指名されていないという事実の方が重大な意味を持つ。日ソ、日露関係の長い歴史の中で、駐日大使が不在だった時期が一度だけある。1945年8月9日にソ連が日ソ不可侵条約を破って、対日戦争に参戦して以降、1956年10月の日ソ共同宣言までの11年間だ。現在の「大使不在」はそれ以来の異常事態だ。

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